「同期」と「同僚」
お誘いあって、久しぶりに同期と飲みに行きました。
やっぱ「同期」は大事な存在だなぁと再認識。
同期の中でも、えぇ子らとだったからそう思ったんかなぁ。
会社の「同僚」というのとはまた別次元の関係なのだなと感じました。
そこに立場の差異がないのがいいのです。
気をつかわず、他愛も会話ができるのはよいですね。
逆に、仕事の愚痴をいいあう同期は「同僚」てきです。
また、「誰々はほんと×だな。」なんていう雰囲気がない人でしたのでそれがまたよかったです。
そういう人を悪く言う奴って、やっぱ一緒にいて楽しくないものね。
自分もそう言われてるんちゃうかって思うもの。
同期にもそういう人はいて、そうするとやっぱ「同僚」てきなつきあいになります。
自分自身にもそういったふうにしてしまう面があるんだけれども、否定しないで無関心の姿勢をとるようにしています。
「人は差別して自分を保ついきもの」というのは、ある友人が言っていたことばです。
実際それは仕方のない部分ではあるけれど、自分で作った敷居・壁を少しずつ減らしていく事は可能なはずです。
無関心でなくて、苦手な人も理解する。
人として格好いいのは社会的なステータス以上にそういった部分なのだろうと思います。
徳が高いってそういうことなんじゃね?
少なくても私はそういう考えを持っているようです。
そして、それが幸福感とかかわってくるんじゃあるまいか。
なんか、分け隔てなく誰にでも気さく寛容な同期をみてそんなことを思いました。
大変よい勉強になりました。
さて、明日はTOEICです。
今回は全くもって勉強してません。
今日は勉強しようと思ってたけど結局。。。
ホンマ、swine flu 騒動に乗じてキャンセルしようか思ったほど無勉強状態。
緊張感がない。
そろそろ、TOEICを受ける意味を見つめなおさないかんかなぁ。
ただの無駄遣いやわ。
ルーチン化した事をみなおす。大事なことですよね。