8月6日

「今日は何の日?」などと問われ、「えっ、何やろ?…、あっ、ハムの日だっ!」なんて人も増えているのでしょうか。


不謹慎ですみません。
ハムやでもこんな事は言えないのでしょう。


度々、紹介している柳田さんのブログ。
http://mitsuhiro.exblog.jp/
見るまですっかり忘れておりました。


今日は日本国の民が、核について、戦争について再考する数少ない機会の日です。


生まれが静岡の私。
身近に原爆の体験について語るような人もおらず、それは机上の歴史でしかありませんでした。


しかしながら、そんな無縁な生活地域から、なぜか広島の大学への進学を選んだのでした。
確か、何かのランキングでその大学が上位だっというお得感か何かが理由でした。
でも、当時の私にしては随分と冒険的な選択でした。


実際に行くまでは、確かに「歴史教科書的な広島」というイメージをもっておりました。
が、今、広島での4年学生生活を思い返せば、近代広島(市内)は随分と都会できれいで住みよい街という印象です。


4年住んでみても、教科書的な広島の姿は私の眼にはほとんど入りませんでした。
授業でもその類の講義はほとんどとりませんでしたし。いや、受講歴を忘れているだけかもしれません。


私とか、その近辺未満の人達にとっての印象も今やそんな「ぼんやりとした広島」なのかもしれません。


しかしながら、たまたまでしたが住んだ広島。
私は第2の故郷と思っています。大げさですが。


ですから、年に一回この時期位は、広島(長崎)とその歴史について、しっかりと気持ちを持ちたいななんて思います。
まぁ、知らないだらけで、大したものではないのでしょうが。


個人的に、誰かに自分の魂のあり方を強要されるのは嫌いですし、「皆で祈りましょう」なんてのは、どうにも賛同しにくいのですが、自分の中で納得した自発的な思いを原動に考えたいものです。


核兵器反対!核兵器反対!」なんていう風でなくても、せめてこの世から核兵器がなくなるまでは、自分の中にしっかりと8月6, 9日を風化させずにおいておきたいという気持ちです。
(つまり死ぬまで忘れてはいけないのでしょう)
それ位は実際を知らない我々でも持ち合わせておいたほうがよい気がします。


こういう表現も、あんま好きでないけど、「日本人のパーソナリティ」として。
なぜか広島を進学先に決めた「鼻垂れこぞうの選択」に運命を感じて。


何か、色々書いたのだけれど、4年も住んでいながら資料館にも行ったことありません。(怖いもの見たく無さで行けませんでした。)
次に広島行く際には必ず見に行こうと思います。


広島の時代の友人も幾人かこのブログをのぞいて下さる方がいるらしいですが、彼らもきっと今日の日に何かを思っているに違いありません。