己的でありたい

昨晩は日本代表の8決めの試合でしたね。

私は試合見ておりません。

前の晩夜更かしして眠かったし、諦めてしまいました。

まぁ、私の思いというのは所詮その程度のものらしいです。

それに、近頃は平素からサッカーに関心薄かったですし。

「俄か」や「集団はしゃぎ」の雰囲気が嫌い、というよりかは苦手なのかもしれないです。三者としてでなく。

テレビでニュース見ましたが、岡ちゃん最高、日本最高、的なのが多くて、客観的に見るとずいぶんと気味が悪いなと思いました。

私自信もそういう性質ありとは自覚していて、決して人の事は批判できないのですが、皆で歩けば怖くない、というコマーシャルで見かけたようなのが我々の悪い部分でしょうか。

駄目なら大批判、良ければ大肯定。無思考的でどちらも健全でない場合が多い。

特に批判はいじめ的構図で相当に不健康。

まぁ、そんなものなのでしょうか。

政治においてもこういう風だなぁ。と思いました。

我慢ができない人達という様にも取れるかもしれません。

批判的なことをつらつら書きながらこういうこと書くと「テメェこの下衆ヤロウ」ですが、岡田さんも選手もその周囲もお疲れ様でした。

多くの国民が前向きな方向に気持ちをまとめる事ができましたし、みながありがとうの気分だというのは間違いないと思います。



今日は衝動的に本を買いました。

話題になっているハーバードとかスタンフォードとかの関係の本です。

2冊買ったあと気がついたのですが、これ買わなかったらHIATUSのCDかえたなぁ。

最近、積読盛りの私、ハーバードの方はフィロソフィの講義で面白そうなので、他のを飛ばしてでも読もうと思っています。

NHKで番組見かけましたが、いやはや何が面白いかって学生が己を持っていて感心してしましました。

これが必ずしもすばらしい事かどうか見分ける知識も経験も無いのですが、先の日本の応援団とは違うものだなぁと感じました。

無自己な私は単純にかっこういいと思いました、彼らを。

まぁ、そもそも無自己なんてのは有り得ない気もしますから、自分できちんと考えてそれをきちんと表に出せるようになりたい。そういう希望ですかね。

そう言えば、先日本屋でチケットを購入した野村監督の講演会、中止という案内を本日知りました。

ずいぶんと前から大変に楽しみにしていたので残念です。

こういうイズムと呼ばれるような哲学を持った人の話はなかなかライヴで聞く機会ないですからね。



今日はずいぶんと他人に不快感を与えそうな内容を書いてしまった様に思います。

まぁ、私の日記ですからよいです。

ちゃんと読む人なんかはそうそういないでしょうし。

さて、ちょいと読書して、いよいよ終盤戦のウィンブルドンを観戦しようかと思います。