僕は僕の信じたやり方で

地震のことについて書きます。
因みに、私は今回の地震による被害をうけていない人ですので、そういう人間のご託を聞きたくないという方は読まないことを勧めます。


さて、今回の地震、まだまだ現在進行形で多くの方が大変な状況にいることは、非当事者の私でも容易に推測できる状況ですから、このことに触れていいものか?と少し悩みました。
しかしながら、地震後、ぼんやりと自分が思うことが膨らんできたので少し記録しておこうかと思います。



まず、地震が起こった時、私の地域ではそこそこ大きの揺れを感じるといった程度で、津波も数十センチというレベルで、結果としてはほとんど影響はありませんでした。
しかしながら、住まいは、大きな地震がくるぞと言われている地域であり、これは危ないかもしれない。という恐怖を感じる大きさでした。



その日の夜は帰宅後、TVやTwitterによってただひたすらに深刻さを目にし、そわそわしながらなかなか寝ることが出来ませんでした。



そんな風にして少しの睡眠をとったあと、翌朝早朝、随分と深刻というか重い気持ちで、用事のため出かけました。
その際に、向から随分とヘラヘラして陽気な顔で鼻歌をうたうおじさんが、すれ違いざまにぶつかってきたので、思わず舌打ちしてしまった。
ぶつかってきたことに対してというよりは、こんな時によくもヘラヘラしていられるな。といった気持ちでしょうか。
兎に角、違和感を覚える雰囲気にたいしての反射的な行為でした。
結果、おじさんと一悶着したのですが、これはまぁ今回の趣旨とは関係ないので割愛。



今回の地震について、私はTwitterというものから様々な情報を得てきました。
そして、今もそうです。
なんといっても魅力は、その速報性と伝播速度だと思います。
発信に余計な審査を必要とせず、それがツリー状にカスケード的に伝わるから、それがこういうケースにとっても合っているんだと思います。



しかしながら、随分と誤った情報もあるようで、この点は自身の情報を選抜する能力が大事だなと感じます。
それに、TVではオープンにならないような事も、発信されている場面もありました。
ただ、信頼性(非不確か性)ではやはりTVが良いのだと思います。
どういった方をフォローするかでも、それなりに差が生じるでしょうが、随分と便利だなぁと思い、こういうのは技術革新といってよいな、とぼんやりおもっていました。



さて、私のTL(千数百名をフォロー)上は、地震発生の当日からほとんど、地震についての話題で埋められています。
これは今もおおよそ変わりません。
今回の惨事を皆でのりきろう、自分がなんとか協力できることはないか、そういったコメントで埋め尽くされています。
こういう景色をみて、人の善意が溢れ出してくる画面に、熱いものがこみ上げ、何度か涙がこぼれました。単純な感情として実に嬉しい。



しかしながら、こういう状況の中、私はそれまで頻繁にやっていた発言を自粛するという選択をしました。
色々調べてみると、こういうスタイルをとることを好む人はそれなりにいるようです。
そして、地震と関係ない発言をする人を批判するというひともそういうグループの中に多いようです。
そしてそして、そういう批判をする人を非難する意見もある。
こんな時だからこそ明るい言葉をとか、偽善的だとか、そういう雰囲気が蔓延すると発言ができなくなるとか、まぁ、最もらしい意見です。



私個人としては、そういう意見はどれも真であるし、どれもハズレでもある。そんな気持ちです。
結局ね、そういうのって個々人のもっている特性や経験に左右されることだと思う。
積極的に情報を発信し、みなで共有しようとしている人でも、そんな事したらかえってただ混乱するのでは?と思える場面もあるし、逆にそういった行為がある人を助けたり支えたりすることもあるんだと思います。



僕が気になるのは、本当に自分がとろうとする行為が正しいかどうか想像をしたか、ということ。
ただ感情に任せて、選択しているのであれば、その後の可能性について、少し考えてから行動するのも必要と思う。



僕は僕なりに考えて、自分の発言はノイズになる可能性がたかいだろうとか、発言が誰かにとってプラスになるよりかは、きっと不快な気分になることが多いだろうなという程度だが考えてそういう風にしてしています。



いずれの行動をとった場合でも、世の中には実に様々な価値観があり、自分の考えにたいしてforもagainstもでてくるのは仕方がないのだけど、そこに自分なりの考え(正義)があるのかってことが気になるよね。



因みに、よく知らないでいることは良くないな(少なくとも今回のことに対しては)と考えます。
この土日にまちをふらふら歩いていて、全くの関係ないことという雰囲気をそれなりに感じてそのことが少し悲しくもありました。
まぁ、私も知人が関東に住んでいたり、Twitterを通じて身近な雰囲気を感じたり、たまたまだというkは否定できませんが。



なんだかんだ言いましたが、やはり、自分にとって身近でないと当事者としての意識などでてこないのは致し方のないことですよね。
そういった人を批判するのもあまり意味がないでしょうか。
でも少なくとも、自分がそういう事柄に対し、今までよりも感度の高い人でありたいとは思いますね。



どういう事ができるのかわかりませんし、「みんなで一致団結!〇〇しましょう!」なんていうのは、自分がやろうとするとどうも偽善に思えて違和感があると自身で感じています。
ので、とりあえず自分の正義心に基づいて、募金をすること、無理のない程度に節電すること、引き続き関心を持ち続けること、あたりを続けていこうと思います。



なんか、下手くそな文章で分かりにくいですが、多くの人がその人の正義に則って協力し、ひとりでも多くの人の役にたてるといいな。そういう事が書きたかったんですね。