死 と dependency

大学院時代に大変お世話になった方の突然の訃報を受けた
年末に元気な彼と話したばかりだった
彼がいたからこそ、僕は無事に研究を推し進める事ができたことについては否定するすべが全くない
つまり、彼はモラトリアムにおける僕に、大きく影響を与えた人なんだ


もう、いないのだなぁ
そういう気持ちが一番にわいてきた
死というものの存在が迫るのを感じたのは初めてかもしれない
もちろん、誰しも死というものに対しては、客観的なやり方か、想像でしか触れ得ない
でも、とにかく迫ってきた
きっと、どれだけその人に依存しているのかという感覚によって、この感情の深度は変わるのだと思う


気がついてしまったのは、「死」というのは、他者を介する形でしか考えることができなくって、それはもうつまり自分のいる世界の変化のみでしか触れることができないんだね
素直な気持ちを吐き出してしまえば、僕の存在を認知してくれている人がいなくなることに対する嘆きが、僕にとってのそれそのものなのかもしれない
なんだか、勝手だな


人って突然にいなくなってしまうのだなぁ
不思議だなぁ、とても


僕は、性根のよい気持ちの優しい人がすきだ
死後というものが存在するのであれば、彼のそれは安らかなものであってほしい


気持ちを整理していたら涙がでた
ご冥福をお祈り申し上げます