永遠の永遠の永遠 〜哲学する生命としての人〜
大阪の国立国際美術館へ行って来ました
どうしても観たい、という気持ちがあり忙しいふりをしながら行って来ました
草間彌生さん、私の近しい知人では知らない人がほとんどなのだと思います
感想ですが、ひとこと、「うちのめされた」
水玉の人、なんていう風に僕は思っていたから、随分と見当違いもいいところでした
なんていうのかな、兎に角一枚一枚をじっくりと観ながら、いろんな感情が波の様に押し寄せては引いていき、気がつけば「生」についてつまり「死」ついて考えていたのでした
働き始めて以降、自己との葛藤が始まり、ずっとずっと悩み続けてきたのだけれど
その中で、自分なりに、価値について、自分と世界について、思考する私はどうあるべきか、などいうようなもんもんたる気持でずっとやってきました
それ故に、草間作品がトリガーとなり色々な気持が吹き出したのかもしれないなぁ
美術を観てこんなにも自己の感情がうごうごとざわめいたのは初めてなのです
草間さんの展示、作品のタイトルが哲学的でとっても美しく、そこもまた僕にとって嬉しいことでした
大阪では4/8までですから、ご興味在る方は是非
大阪訪問の目的のもう一つは、大学時代にお世話になった先輩に会うことでした
サークル、バイト、プライベートと本当に良くしてくれた先輩
自分で言うのもなんですが、あんな奴(つまり昔の私)と仲良くしてくれる彼は人格的に立派であることは明らかなのです、知る人からすれば
時間の都合もあり、軽い食事とお茶程度でしたが楽しかった
しばらく合わない間に、夫になり父になり、又仕事での経験も蓄積があり、色々悩みも在るようでした
本質的な人間としての良い性格部分が変わらず、変わったのは会話の質がより実際的で深い世界をみるようになった、というところで、これは本当に嬉しことです
久しぶりにあう知人は大いに刺激を与えてくれる存在で、これからも機会があればこれはやめてはならないことだな、と思いました
やっぱり、世界はしっかりと回っているんだよなぁ
大阪、精神的な距離よりも案外遠くないことがわかりましたので、また軽い足取りで訪れたいなと思います
今日、色々考えてね、孤独という事についてものすごく(いや、ちょっとだけかもしれんけれど)考えました
結局は、人って何処まで行っても孤独なのだけれど、でも人と一緒にじゃなきゃ生きていけないな、人に生かされてるんやなって
同じ方角を向いて喜び怒り笑い哀しみ泣き楽しみ、そういう人を見つけられたらなぁって
明日は、3月11日です
僕は正直な所、この話題について語れるほどの時の過ごし方をしてこなかったと自覚しています
自分も身内も実際的な被害にあっておらず、頭にある像も結局は他人のフィルタを通したよそごとの域を出ないわけです
言い訳がましいのだけれど、無思考で実のない綺麗事なんか並べたってしょうがないなぁてね
だから、何もコメントはしようがないのだと考えています
だから、きっとなんでもない一日としてすごすのだろうな明日も
ただ、ぼんやりとではあるけれども、できることはしたいってこと位は偽りの善のこころとして思っていて、今年はもうすぐ迎える誕生日に大きめの募金をしようと思います
ほんとはこれもわざわざ書かなくたっていいのにね、うん
ほかにも何かできたらいいのだけれどなぁ、思いつかないや今は