生きる意味を考える無意味、を考える
今日は、ちょっと気になった本を探しに近所の本屋さんへ
前にも書いた、子ども向けの本を専門に扱っている、界隈では有名な本屋さん
結局探していた本は絶版かも、ということでしたから残念でした
ちょうど、つつみあれいさんの『はい、ユニバース。』展、がやっていたので覗いて来ました
以前、この本屋さんに荒井良二さんのお話を聴きに行った時に知った作家さんで絵の雰囲気がとても好きな方なのです(ご本人もとてもステキな方ですよ
作品は手の届きにくいお値段でしたから、ポストカードとバッジを購入
最近、「きれいな」バッジを集めるのがとても楽しいです
探しものを見つける目的は未達でしたが、別の出会いがあって満足でした
その他、今日は知人への贈り物を探してバタバタ
一度は量販店で購入したのですが、同じ物を別のお店で買い直す、ということをしました
買い直したお店は、それの存在を僕に知らしめてくれた小さなお店です
このご時世、大きなお店やWeb上のお店の方が価格などなどにおいて大分リーズナブルにお買物ができますよね
でも、なんだか人にプレゼントするときにそういうお店では買いたくないなと、ふと思ったんです
「贈り物」をする相手というのは、おおよその場合において「特別な人」であると思います
そこにはきっと「特別な思い」が込められるべきだ、そんな風に思っています
そんな時に選びたいのは、売る人の気持ちが見える小さなお店だなぁ、ってね
多少の値段の安さよりも、気持ちを一緒に買いたいなぁ、ってね
こういう風にあれこれ考えながらするプレゼントが僕は好きで、だから僕のあげるものっていつも大抵変なものになっちゃう気がします
自分が楽しく探せるということで自己の満足は大きいです、まぁ相手が喜んでくれるかは別問題やけれどもね
今日のタイトル、今日という日を意識したつもりはないのだけれど、そんなこともないのかもしれない
最近、自分の中でメキメキと大きくなっている考えの中に、post capitalism というのがあります
経済というキーワードでの成長を期待して無理をする、という考え方を懐疑し、価値の置き場についてしっかりと思考してみることで、個の中でのパラダイムシフトをおこそう、という感じ
僕らは生まれてこの方、常に“恵まれた”環境で時を過ごしてきました
そこに疑問の念を抱く機会はなかったし、今の生活が極々当たり前、という風に刷り込まれてしまっている
今更、経済的に恵まれた生活が幸せ。という考え方に疑問符をうつのは難しい、という位に慣れきってしまっているけれど、今この時だからこそ考えなおしてみてもよいのかもれないなって思っています
それについてのヒントとなるような本であったり記事であったり音楽だったり美術だったり、に触れながら、固定化された観念も含めてちょっとずつ
価値の置き場を探っていこうかと思います
量販店で買わないという思考に至ったのも、こういう部分からきているのかもしれないな
皆がよいうというものでなく、自分がよいと思ったものをかう
国民総満足的商品が優みたいな価値観が刷り込まれた私にはまだまだできないことですが、そのへんをもう少しね、もう少し
結局タイトルのこととは関係のないこと書いてますね
人はいずれなくなります
そして、その人がいなくっても地球は当然のように回ります
結局、人が生きてることに意味なんてないんじゃないかな
なんでもかんでも、自分の中から沸き起こる気持ちに従ってやってみる、それを続けていたら、生きていた
その位のものかもしれないね
「人間は大脳新皮質が発達しすぎた」とは学生時代に共に暗々たるモラトリアムを過ごした先輩の言葉
今を生きよう、自分を生きよう