畏れ、とともに

何をそんなに畏れているの?

わからないけれども、兎に角日々畏れながらすごしているよ、最近さ



佐藤可士和の超整理術(佐藤可士和

ここ数ヶ月明らかに今の自分のキャパでは追いつかないのを実感する程度に仕事が忙しい

この状態については2つの原因が考えられる

上司の管理能力の欠落、そして自分の能力不足

後者を放っておいて前者のことばかりにクロースアップするのは格好悪い

では、今自分に何ができるのか?いや、何が必要なのか?

こう思った時に、溢れた仕事をしっかりと整理整頓してやる一手間でないか、という思考に至りました

そして、数年前に購入しみどく状態で部屋に転がっていた可士和さんの本を読んだのです、僕は整理することがとてもにがてだからね

面白かったですよ、期待を乗り越えて

「空間」(三次元的物体)→「情報」(二次元的対象)→「思考」(非可視対象)という3つの対象について段階的に

なんちゅーんかな、忙しい忙しいってゆーとる人こそ、一度立ち止まって状況をしっかりと見る必要があるよな、っていうことは前から思ってます

そのためのヒントがいくつかあったとおもいます

・捨てることは「不安」との戦い
・整理とは「とりあえず」との戦い
・プライオリティ
・課題を見つければ問題の半分は解決
・機能が似ていつものを見直す
・一時避難場所とアップデイト
入れ子構造へ収納する
・PC→ネーミング
・思考の言語化と情報化
・マイナスと視点導入、プラスへの転化

無思考の賑わう世界の雰囲気に飲まれて、有限な時間と自分の価値(んなもんあるのかわからんけれども)を浪費したくないんよね、ほんまに

上司とか周りの環境のせいにする前にしっかりと自分で努力できる点はないのかって考えたいね



●小商いのすすめ 「経済成長」から「縮小均衡」の時代へ(平川克美

先日ブログにかいたミシマ社という出版社から出ている本です

少子高齢化」「借金大国日本」「経済危機」「就職難」「格差社会」「既得権益」「震災」「原発事故」「政治不安」「中国台頭」「第二次産業の空洞化」など

この国を包む暗雲の濃さたるや、果たして明るい未来などあるのか

資本主義は限界点に来ている、パラダイムシフトが必要ではないのか今こそ

そんな風にも思っていて、是非読みたいなと思っていたのです、こういう本を

この手の方が綴る文に慣れていない僕にはちょっと表現の手法が難しかったです

簡潔にまとめれば、経済的な成長の余地は(少なくともディベロップトゥカントリーたる我が国には)もはや残っておらずそこに価値を見出すやり方について再考する必要があるステージ、という感じでしょうか

人間の生物的な能力(筆者が言うところの「ヒューマンスケール」)から遠く離れた場所にある現在とそこからさらに発展をしようという雰囲気

確かに、今まで大きな疑問を抱くことがなかったけれど、これについては「価値の置き場所」という定規と一緒に見なおしてみてもいいのかもわからんね

そんななかで、「小商い」というキーワードが出てくるのだ

確かに、地産地消とかさ、あと最近は地方にも魅力的な個人単位のお店っていっぱいあって、皆が良とするブランド以外にも選択肢はあるなぁって僕も思ってます

これも、この時代と小商いのマッチングの成果なのだろうかね

でもね、、この便利に囲まれた世の中で、国家的病としてのこの経済拡張幻想に対して、このコンセプトを今更においてどう展開したらいいのさ

ってちょっと否定的な意見をもってしまったよ、少なくとも企業にすがりながら生きていく以外の選択肢がない無能力の自分にはね、いや能力というよりかはもちべーしょんかな

ある程度の規模で利益をうもうという組織体においては、グローバリデーションの波に抗うのはほとんど至難の技だから、そこで小商いというキーワードが出てくるともうなんだかねぇ、わからんくなってしまうよ

結局どうしたらいいのだろうね、もやもやするよ

でも、自分で考えないといけないんやろうね

最近は澱んだ水が溜まっている大きな企業よりも、ちっちゃくてキラキラした会社で働くっていうのがいいよなって思ってる

しんどいことも多いだろうけれどね

うーん、まずは身の回りにおける価値意識の扱いについて考えなおすことから始めたいと思う

人がいいっていうものが本当に自分にとって価値があるものか?ここからじゃないか