KYOTO ー (SHRINE and TEMPLE) =


週末、京都へ行って来ました


最近はたまに仕事で行くか、忘年会に行くか、という感じでしたから、目的明確で行くのは久しぶりでした



とは言え、ソレは第一目的ではなく、大阪での友人の結婚式があったから寄り道した、という事なのだけれど


友人は、大学の同級生で学科やサークルも同じでした


心遣いの人、という彼の人となりが随所で感じられる良い式でした


ただし、余興は失敗に終わりました、コテンパ


まぁそんなものでしょう



式の翌日は、京都へ


今年は研究室の忘年会にも行かぬことにしたため、京都へ行く機会がもう無いだろうとうつむいていたのですが


ここでいけるやん、というか、ここしかない、と思いたちスーツ纏って行ってきました


色々と行きたい店があったのですよ


京都が好き、なんていうセリフは月並みなで、まぁなんとも面白く無いので使うのもアレなのですが


自分がかつて住処とし悶々たる日々を過ごした場所ですから、観光的な好きよりもちょっとだけ+αな想いがあるんやで、みたいな


まぁ、どっちゃでもええ話ですが



スマート珈琲で、フレンチトーストを食べ

出町ふたばで、豆大福という極定番に手をそめ

鴨川デルタにながれる時間のゆるやか、をふむふむと眺めることの贅沢を感じ

あ、そういえば京阪と叡電別々に切符買うと高なるやん、という感覚はデジャヴ

恵文社では、ここぞとばかりに変てこな本を買いあさり

モリカゲシャツで財をちらし

市役所のフリマを冷やかし

高瀬川のほとりの景色がやはりすきだなと懐かしみ

喫茶ソワレではここは男が一人できたらあかん店や、と嘆き

mina perhonen piece においても、男子一人で立ち入るべからずの雰囲気に朦朧とし

でも皆川明の世界が素晴らしかったから、もう世間体とかどうでもええねん、と結論し

立誠小学校で変なイベントを観ながら、文化の街だなここは、羨ましいなとかなんとかして

錦市場で腹をならし

伊勢丹でイルミネーションが素敵やわぁ


という旅でした


自分で言うのもなんだけれども、よそ者の京都の歩き方としては、随分とひねくれている様な気がします


所謂、神社仏閣であったり歴史的で和風というのは京都のイメージの最も濃いというかメジャーなものかと思いますが


そういった修学旅行的側面の外側の部分に大きな魅力があるところ、それが僕が京都を好きな理由なのかなぁ、なんて思っています


いや、今無理やり形にした言葉だけれど



省みて、もう一つ思ったのは


京都という街の魅力は小商いにあるのかもしれないぞ、みたいな


詳しく書くだけの知識もないので掘り下げないけれど、有意思の小商い由来の魅力がそのまま京都という街の魅力なような気がしています


そこに流れる時の速度も、資本主義のそれと比べてゆったりな気もする


最近、なんとはなしに「安く大量に」を合言葉にする産業革命が作り上げたやり方の終末みたいなもの(品質まずまず・大量生産(=低個性)・安価(≒使い捨て的))に対して、ホンマにそれでいいの?なんて思っていて


そういう(怠惰を助長する)贅沢さは一度しみこむと、もう離れがたく、今更以前にはもどれない、という事もわかってはいるけれど


でもやっぱり、そういうのは本当に幸せなん?って問えばきっと違うって割りと本気で思ってて


むしろソレは進化というより後退な気がしていて


マスで稼ぎマス、的なやり方を器用にやるような国ではないのではないかなあ、日本は


とか思ってます



なんか、自分でかいててよくわからんくなってしまったんだぜ



まぁ、要するに、神社仏閣なしの京都旅、とても楽しかったです