沼津の人

筑紫哲也さんが肺がんのために亡くなったとの事。

なぜ日記に書こうと思ったかといえば、筑紫さんは私の母校の先輩に当たる方であるからである。

といっても東京からの疎開で2年間在籍していただけらしいのだが。

NEWS23で活躍している姿を拝見し、自分もいつかこの先輩のように立派な人物になりたいものだと、思いを馳せたりしたことがあったりなかったり。

とはいっても、政治などのネタに全く関心を示さない性質の私は、「キャスターをやっていた」という事実以外には知るところはほとんどない。

哀悼の意を表そうにも、思い出すようなものがないのだか、悲しみようがないのである。

なんとか出てくるのはの多事争論の導入シーン、「異論・反論・オブジェクション」の軽快なリズム位である。

「これでは後輩としてあんまりだ」と考え、早速googleで調べてみたのだがその結果は何ともがっかりするものであった。

何と50万件もの氏の出生に関するものがヒットしてくるのだ。

しかも、このネタが関連のキーワードとして一番多い。

もちろんこの結果だけを見てあれこれ語るのは、賢明ではないしナンセンスである事は承知のつもりだが、それでも私はたいそうショックを受けた。

これを見て誰かが言っていた「人はゴシップが大好きである」といった言葉を思い出した。

勿論私も、ゴシップの類は興味があるし、人に対してひどいことをいう事が度々ある。

しかしながら私は、基本的に出生に関する事というのは、論評の対象にすべきでないと考えている。

なぜなら、それは自分で選べるものではないのだから。

ああいった方について語られるべきは、彼の発言や意見に対してであるべきなのだ。

しかしながら、賛否両論これだけ多くの方に意見されるのは、一流の証ではないだろうか。

その点でやはり立派な人で、ある方々にとっては大きな悲しみの出来事なのだろう。

何か、うまく表現できないのだけれども、ネット世界で人の深い負の部分を見るたびに悲しい気分になる、そんな感じです。

最後に、僭越ながら、謹んで故人のご冥福をお祈り申し上げます。


キャラ違いな文章を書いて疲弊したのでそろそろ寝るとしますか。