(B)の用法

(A)先日友人Zの結婚式に参加したら、装飾が無駄に豪華で私はおどろいた

(B)先日友人Zにもらったプレゼントは、無駄に豪華で私はおどろいた



さて、この二つの文章での“無駄”の使われ方、みなさんはどのように解釈されるでしょうか。

先日、この“無駄”のもつニュアンスについて、考える事があったので今日はその事を書いておきます。



(A)については、恐らくは誰もが同じように、「プレゼントの価値がZには見合っていない。」という、どちらかと言えばネガティブな捉え方になると思います。



では(B)はどうでしょうか。

この表現に対して、「それはZに対して失礼だろ!」という方がいて、多少の驚きを体験しました。


みなさんは、どう思われるでしょうか。

私はこれを見て何の迷いもなく、全く失礼なんて思わず、友人への畏敬の気持ちを含ませた表現だと思いました。

簡単にいえば、こういう解釈です。



プレゼント(の豪華さ)に“無駄”がある。

では何に対して“無駄”なのか?

もちろん、プレゼントを貰う私ですね。

Zがくれたプレゼントの価値(豪華さ)に比べ、私はたいしたことないですよ。というニュアンス。

つまり「このプレゼントは、私には勿体無い(無駄になってしまう)位に素晴らしい」という、ある意味で謙譲ともいえる風な解釈をします。



実際にこういった使い方が正しいのかどうかわかりませんが、この表現に違和感を持たない人はそれなりにいるようです。

私はたまにこういう用法で“無駄”という言葉を使いますし、(B)の用法を批判的に見人がいるという今回の経験は新鮮でした。

個人的には「Zにもらったプレゼントは僕には勿体無いくらい素晴らしかった」という風にストレートに表現するよりも、スマートな印象さえ持っていましたからね。

ちなみに、「いちいち素晴らしい」なんていう表現も、同じく人によって違和感を感じるようですね。



日本語におけるニュアンスって結構難しくて、人によっては全く違った解釈になりうる言葉があるということを肝に命じながら、言葉をoutput せねばなりませね。



年末年始に読んだ本のご紹介

●絶叫委員会(穂村弘

上にあげたようなテーマをどうして書こうと思ったのか、この本が理由のひとつかも知れません。

内容は、日常でひろった名言の数々を穂村さんが独自の切り口で解説するというもの。

しかし、世におおく存在するような“いかにも名言”であったり“面白おかしい珍ゼリフ”の類ではありません。

その名言を拾うだけの感覚をしっかりと持っていなければ、聞き流してしまうような言葉ばかりでした。

そのセンスの良さが大変素晴らしいなと思いました。

こういう風に解釈できるのは、やはり言語のセンスがあるからですよね。

私は、「糸井さんかっこういい」を公言していますが、あの方も同様で、こういったセンスを持っている人は、きっと非物質的な部分でみえている世界がちがうのでしょうね。

こういうセンスは、浴びることで多少は向上させることができるものと思いますので、これからもいろいろ本などでよいものに触れていきたいと思います。



●ポロメリア(Cocco

Cocco による自伝的小説。

最初は、面白くないなぁ、読むのやめようかなぁ、って思いながら読んでいましたが、途中からはグイグイと読み進めました。

なんて言ったらいいのかなぁ、私がLive やPV などで見た彼女とは随分と違う負の部分も背負っている人物の本という印象でした。

でも、アルバムがでた時に雑誌(ロッキン?)で読んだのはこのイメージに近かったかもしれない。

おそらく、熱心なファンの方はこういった部分も含めて好きなのでしょうね。

正直、ちょっと切ないような気持ちになりましたし、万人にすすめてよいかわかりません。

でもCocco が好き、Cocco に興味が有る方は読んでみても良いと思いますよ。

⇓因みにこれめっちゃすき