視界の外にある世界

この週末、大学からの友人(ルパン似なので『R』としましょうか)の結婚式でした

大学を卒業してから7 年、なんだかんだ今でもよく遊んでもらっている人物です

僕とは全くタイプの違う、表舞台がよく似合う人物で、何故こういった関係が続いているのか、今思うと不思議です

まぁ、友情(とかいうとたいへん恥ずかしいというか、そんな立派なもんちゃうかな、って思いますが)に理由なんてものはいらないですかね



僕の同級生の多くが既に挙式をすませていますが、今回結婚するR は毎々総合的に余興を仕切ってくれた人物です

“仕切る”とか書けば「大掛かり」と思われるかもしれませんが、僕らがやる余興は新郎新婦の関係者がいる土地を訪ね(時には初対面の人なども含め)映像を撮り、その動画を編集して本番で流し、さらに寸劇を行う、というそれなりに労を要するものなのです

今回、R 本人が結婚するわけですから、余興の場に勿論彼は不在で、仕切る人間がいないのでした

そこで、「どうせひまやろ?」というのがほとんど唯一の理由で(半ば強制的に)僕が舵取りをやることになりました



昨年末の企画段階から始まって、昨日の余興本番まで、想像以上に多くの苦労を経験しました

僕もこれまでR と一緒に色々な余興を手伝って来ましたが、R のいた位置というのがこんなにもやるべきことが多いとは、やってみて初めて気がついたわけです

ここに学ぶべきは、自分の視界に入るものごとの外に、実に多くのことが存在している、ということ

意識を集中させねば、いとも簡単に忘れてしまう事実ですよね

又、今回こういった役割をやってみて、自分の実務遂行能力があまりにも低いことを痛感しました

日程調整、連絡、交渉、face to face コミュニケーション、想像と落とし込みなど

おそらく、一般の人ならば極々普通にこなすことですが、とにかく苦手なことが多く、良い経験として刻んでおきたいと思います



まぁ、苦労した苦労したと書いてますが、結局は友人や先輩、その他ほんとうに多くの人に助けてもらいながら(出来はともかく)無事に余興を終えられた、という事を僕は忘れてはならないし、とてもとても感謝しています

特に、二人のO君と先輩Oさんがいなかったら当日を迎えられなかったって思うよほんまにすごく助けられたもの

そしてね、やっぱりね、人は多くの他者に支えられて生きてるんだって改めて思いましたよ

このことも普段忘れがちだから、しっかりと胸に刻んでおかないとね



色々まとまらないけれど、思いついた順に書いときます

今回、R の関係者に色々とインタビューをしたなかで「R はどんなに忙しくっても、周囲への配慮を絶対にわすれない人だ」ってことを聞かせてくれた人がいました

オフレコ部分でしたから、本心からの言葉なのだと思ってます

これってすっごいなぁ、って僕はえらく感心しました

だって、これ僕が目指すべきあり方で、僕には全くできていない部分ですからね

こういうのは格好良い

その他、どの人からもお世辞の雰囲気抜きに評判が良かったのは、僕にはとても眩しく思えた



少し話変わって、参加者として楽しむ目線からの結婚式、ということについて書くと

僕は二次会で聞いた話がいいなと思ったのです

新婦が披露宴などに対して乗り気でなかったのに対して、「今までお世話になってきた人に感謝するために披露宴はやりたい」という内容のことをいったらしい

あぁ、そうかそうか、といたく感心したんです

僕も披露宴とかやらんでえぇやん派(じぶんそんなこと考える必要あらへんやん、というつっこみはちょっと横に置いといてね)ですから、結局それって自分にとってのメリットデメリット部分にしか目が向いてないとそうなのかなって

自分が多くの人に支えられた上で今ここに存在しているという事実、は疑いようもない事で、そういった人にしっかりと感謝の意を伝えられる場って、人生で結婚式の時ぐらいかもしれないですよね

ついでといったらなんだけれど、花嫁から新郎へ“説明の少ないプレゼント”の贈呈があって、そこに込められた意味について後からフォロー説明する新郎の姿がほほえましかった

うん、とってもバランスのいいふたりなのかもしれないなぁっておもってね



うーん、兎に角結婚おめでとう

幸せな時もそうでない時も、二人で協力して前を向き歩を進めていける

そんな夫婦であってくれることを願ってますよ