カタルコトバ
●別冊spoon. ツイッター読書会
はい、蒼井優がとてもかわいいんだということが購入した理由であることについて、私はなんら沈黙するつもりはございません
10ページの雰囲気がとても好きです
さて、そんな理由もあったでしたが、Twitter も購入またきっかけでした
この別冊号、大変に興味深い内容でした
東京は荻窪の古本カフェ「六次元」のお話
ここの主人の中村さんは、3・11以降、古本とTwitterを使ったある取り組みをされています
震災の被害者のチカラになろう、そういう感じです
実は、本誌を購入したきっかけもTwitter上で、中村さんのコメントをみかけたのがきっかけでした
詳細、私が書けば陳腐なイメージが増すばかりですから割愛しますが、やはり真剣に考えた人は行動しているのだなぁという事を感じました
千の言葉より一の行動、頭の中で想像するだけの無意味
また、ぼちぼちと自分もできる募金をやっていこうと思います
これぐらいしかできないのだもの
さて、今回の別冊号、もう一つ面白い特集がありました
詩人の谷川俊太郎さんとお孫さんの夢佳さんの対談
この中で、震災後、多くの人が饒舌になった(少なくともTwitter上では)ことについて話がありました
なるほど、私も知った顔で随分と「〇〇だよね」みたいな事をかたっておりました
そして、それは下品な事かもしれないな、そういう感覚がじわり滲み出てきた
きっとね、頻繁に饒舌に多くをはっする人はね、ただ文字を発散しているだけなんじゃないか
あふれた文字は、誰かの心の平安につながるかもしれないし、だれかの心を乱すかもしれない
おそらく後者が多いのではないでしょうか
きっと、たくさんしゃべっていたほうが、じっくりの思考動作が不要な分、気楽なのだと自分のここ3ヶ月を振り返っています
又、他者の発言の流用というのも一気に量をましたな、と思うんです
これを俊太郎さんは、言葉の画一化といっておられました
たしかに、そうだなぁって思った
簡単に人の言葉に共鳴しようとすることは、自分の中に潜むマイノリティの要素(これこそidentityか?)を殺してしまうのではないかってことも考えた
あまり書くとあれなんで、兎に角この対談がものすごくいいから是非機会があれば一読をおすすめしたいです
この時期だから感じること、というものがきっとあるとおもうんです
沈黙も言葉
昔読んだ吉本隆明さんの本にかいてあった言葉
黙すること、を再考したい、そういう考えがわいてきた最近です
Twitter というメディアのもつ、発信の障壁の低さ、対象不明確性、などなどの特質ゆえ、体外に出す必要がない部分についても言葉を漏らしている、それこそだだ漏らし、それが私の最近
Twitter 、とても便利良く、心地よい面もあるのですが、改めて付き合い方を考える必要はあるなとは思っています
出すのも入れるのも、とにかくかつてない性質を持ったものなので、安易にうけいれすぎてはいけないかもしれないと疑ってみようと思います
とかなんとかいいながら、早速明日にはどっぷり、という気もするんですがね
中毒ですね
久々に吉本さんのカタルコトバを聞きたくなりましたよ
あぁ、沈黙の重要性を考えながら、多くを語るという矛盾。。。